第2章:逃げるわよ!

 学園探偵と名乗る珍妙な転校生と出逢った翌日のお昼休み、わたしは件の少女を教室まで訪ねて行った。A組のわたしがG組までやって来ることは滅多にない。本当にいるかどうか不安だったが、果たして彼女はそこにいた。
 ……ただし、寝こけた姿で。
「3時間目の授業からずっとあのままなのよ」
 と、クラスの女のコが教えてくれた。
 教室で寝たままサボるとは……。わたしが想像しているよりも、こいつは遥かに大物なのかもしれない。

 クラスの子に頼んで起こしてもらうと、あすかは寝ぼけ眼のままわたしに手を振った。
 昨日、彼女から受けた威圧感など、今では微塵も感じられない。

「じゃあ、早速行きましょうか」
 あすかは、先陣を切って歩き出す。
「ねぇ、ホントに部室に入るつもり? 何がそんなに気になるの?」
「別に。しっくりこないなって思うことがあるだけよ。ま、行ってみりゃわかるわ」
 お言葉ですがお嬢さま、あなたの説明の方がしっくりこない。

 山岳部の部室の前まで来ると、
「鍵は?」
 と、あすかが訊いた。
「持ってるわけないでしょ」
「ま、期待しちゃいなかったけどね」
 だったら訊くな……って、ちょっとちょっと!
「あすか、あすか、あすかー!」
「あによ?」
「あによじゃなくて……!」

 彼女は、二宮先輩が割った窓から侵入しようとしている。
 それはいい。だが、短すぎるスカートで窓枠をまたごうとしているものだから……その……、
「み、見えちゃうわよ……!」
 すでに、スカートの裾からは白いふとももがあらわになっている。
「いいじゃない、女のコ同士なんだし。それとも、そっちの気でもあんの?」
「そういう問題じゃない!」

 あすかは意にも介さず、部室に潜入すると中からドアの鍵を開けてくれた。
 招き入れられるに従って、わたしも中に入ってみる。
 中はご多分に漏れず狭かった。
 先輩の言うとおり、備品は何も搬入されておらず、パイプ椅子がいつくかと折りたたみ式のテーブルが一つ置いてあるだけだ。

「で、しっくりこないことって?」
 わたしはもう一度訊いてみたが、あすかは直接答えず、
「校長センセは、この場に仰向けで倒れていたのよね?」
 と、逆にわたしへ訊いた。
「そうよ。それくらいは憶えてる」
 彼女は、部屋の中をぐるぐる回りながらなにやらブツブツ言っている。
「窓は、レバーを半回転させて施錠するクレセント・ロックか。ドアは外開きで、鍵はボタン式……と。換気口とかはないのね」
 そして、西側の窓に近寄るとその周囲を丹念に調べ始めた。
「やっばりないわね」
「何が?」
 また無視されるかと思ったが、今度は違った。
「サナエ、あれが何だかわかる?」
 窓越しに、あすかが指差してみせる。夏の残滓とも言える雑草の一部が赤黒く濁っていた。
 わたしは小首を傾げる。

「あれは血よ。おそらく校長先生のものね」
「血……っ!?」
「校長センセはここに倒れていた。ってことは、ここで頭を打ち付けるかなんかして、血があそこまで飛んだってことになる。でも、それだとおかしいのよ」
「何で?」
「馬鹿ね。現場は密室だったんでしょ? どーして、ここに窓や壁があるのに血があんなとこに飛ぶのよ」
「あっ!」
 言われてみればそのとおりだ。
 閉め切られた中で怪我をしたのだから、血痕は部室の中だけで留まっていなければならない。

「つまり、ここは密室なんかじゃなかった。誰かが作為的に密室を作り上げたのよ」
 それって……傷害事件ってこと!?
「でも、誰がどうやって……???」
「誰かは置いといて、どうやったと思う、サナエ?」
 あすかは、探るような目つきでわたしを眺める。当ててみせろ、そう言っているかのようだった。

「わかった、その窓は開いていたのよ! わたし、本で読んだことがある。レバーを少しだけ回しておいて、外に出るの。そして窓を思い切り閉めると、振動でレバーが動いて鍵がかかるのよ!」
「古い鍵ならともかく、ここのは新品。それくらいじゃ動かねーわよ。それに血は壁にもないし」
 ぐうっ。ならば……、
「校長先生は外で怪我をさせられて、ここへ運ばれたの。そして……」
「それにしては、ここの血痕量が多すぎるわね。センセは、ここで被害にあったのよ」
 わたしの推理はことごとく論破された。
「まぁ、期待はしていなかったけど」
「じゃあ、あすかはどう考えてんのよ?」
 そこまで言うなら、ガクエンタンテイとやらの推理を拝聴しようじゃないの。

 あすかが口を開きかけた時、ドアが再び開いた。エイトさんと桂木さんだ。
「ご昼食をお持ちしました」
「ご苦労、桂木」
 二人の前で、あすかはまるでお姫さまのように振舞う。
 相当なお金持ちなのかと思って、昨日のランチの際に訊いてみたのだが、自分のこととなると彼女は何も話してくれなかった。
 人のことは何でも知りたがるくせに、ちょっとズルい。

 彼女とわたしは、桂木さんのお手製だという種々様々なサンドイッチをぱくぱくやりながら、エイトさんの報告を聞いた。
 彼は諜報役らしい。

「まず校長だが、一命は取り留めたようだ。まだ意識はないけどね。でも、早苗ちゃん達が見つけてくれなかったら、ヤバかったかもしれないな」
 そう言われて、わたしはくすぐったくなった。
 実際、行動を起こしたのはわたしではなく、二宮先輩なのだ。
「それで、事件当時の現場の様子は?」
「ああ、紙に描いてきたよ」
 エイトさんが広げた紙には、この部室の簡単な見取り図が載っていた。
 あすかは、その中に赤いマジックで点を描き、『血痕』と記した。


山岳部部室見取り図



「現場の鍵は?」
「校長が、ズボンのポケットに入れてた。窓もドアも全部施錠されていて現場が密室だったことから、警察では校長が何らかの理由でテーブルに乗り、バランスを崩して転倒。強い脳震盪を起こして、意識不明になったって見解らしい」
 わたしはあすかを見た。
 それはトリックなのだ。誰かが校長先生を昏倒させ、ここを密室にしたことはすでにわかっている。

「で、名探偵のご感想は?」
 エイトさんが、見ていた手帳から顔を上げて訊いた。
「まぁ、事件の見当は概ねついてんのよ」
「えぇっ!? た、たったこれだけのことで、わかっちゃったっての!?」
 驚くわたしに、あすかは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「トリックなんざ至極簡単。説明するのも馬鹿らしいくらいだわ。でも、犯人については情報が不足していて、確実とは言えねーのよ。関係者の情報がほしいな。−−桂木、お茶」
「はい、お嬢さま」
 甲斐甲斐しくも、桂木さんはティー・ポットから紅茶を注いであげる。

「そうだな。まず、この部は設立に当たってひと悶着あったらしい。現山岳部の部長、二宮礼人が発起人となって部を作ったんだが、校長の二宮晴彦が猛反対したらしい」
「なんで?」
「ここは関東の南。山なんてどこにもない土地だ。そんな学校で、普通山岳部はないだろう」
「でも、出来ちゃったんでしょ?」
「ああ、部員が5人以上いれば部として認められるっていう校則を盾にして、学校側と交渉したらしい。結局、学校側が譲歩する形で設立されたんだが、この部室を造ってもらえるまで1年も経ってる」
「二宮礼人は面白くなかったでしょうね」
「けど、校長の二宮晴彦としては、息子にそんな道楽をしていてほしくなかったんだろうな」
「そういう気持ちもわかんねーわけじゃないけど、親の理想を押し付けられても窮屈なだけだわよね」
 コイツはどんな理想を押し付けようと、突っぱねて我が道を行くタイプだろう。親御さんの苦労が目に浮かぶ。わたしは心の中で、そっと合掌した。

「他にも部員がいたのよね、そいつらは?」
「みんな二宮礼人の友人関係だな。彼に押し切られる形で入部したらしい。それほど活動には身を入れていなかったようだから、今回の事件とはあまり関連性が見られないな。むしろ……」
 エイトさんは、そこで言葉を一旦切った。
「顧問の鳥貝洋(とりがいひろし)、コイツの方が脈ありだ」
「根拠は?」
「鳥貝は、顧問になることには難色を示していんだ。彼はもともと、ロック・クライマーでね。その経験のおかげで白羽の矢が立ったんだが、毛色の違う山岳部の顧問になるのは反対だったってことだ。現に、校長とは何度もやりあっていたらしい」

 それは、わたしも知っている。
 鳥貝先生は型にはめたような体育会系で、直情型の人だ。一度こうと決めたら、テコでも動かない。
 それが、業務命令のヒトコトで厄介ごとを押し付けられてしまったのだから、内心面白くなかったに違いない。

「そういえば以前、校長室で怒鳴り合う声が廊下まで響いていたことがあったわ」
 と、わたしは初めて口を挟んだ。
「もともと人気のない先生なんだけど、その一件で急に校長先生も心象を悪くしちゃったみたい。まぁ、いい気味って言えばそれまでだけど」
「サナエもキライだったんだ、そいつ?」
「まぁね。無骨で、粗暴で、デリカシーがなくって、ゴリラが服着て歩いているようなヤツだったもの。そう、ちょうどこんな風に……、」
 わたしは隣に立っている男性を指差した。−−え?

「オ・マ・エ・ら、ここで何やってるんだっっ!?」
 ひえええっ!?
 話に夢中になっていて気づかなかったが、いつの間にか鳥貝先生が部室にやってきていた。 
 憤怒の表情で、わたし達を睥睨している!!

「ここは立ち入り禁止だぞっ! 勝手に入るんじゃない!」
「あら、それを言ったらセンセだって入ってるじゃないの」
 よりにもよって、あすかが火の中に火薬を放り込んだ。
「キサマ、生徒の分際で教師に楯突こうっていうのかッ!? そもそも、その茶色い髪は何だ! 我が校では染髪は校則違反だぞ。リボンも禁止だッ!」

 先生は、あすかが結っているピンク色のリボンを取ろうとした。
 −−が、彼女は紙一重でその手をすり抜けてしまう。
 先生は再度詰め寄るが、まるで自分の影を相手にしているかのように、あすかを捉えることが出来ない。

「桂木!」
「はい、お嬢さま」
 あすかの号令で、桂木さんが二人の間に割って入った。
 重量級同士の戦いかっ!?
 けど、それは一瞬でケリがついた。

「ご免!」
 と、桂木さんは短く言い、掴みかかろうとする先生の腕を取ると素早く腰を落とし、身体を捻った。
 柔道で言うところの一本背負いだ!

 ズシィィィ……ンッッ!!

 重い衝撃が部室全体を揺らす。……こ、壊れるかと思った!
「何、ボーッとしてんの! 逃げるわよ!」
「え?」
 わけもわからず戸惑っていると、いきなりぐいっと引っ張られ、部室の外へ連れ出された。
 そのまま、あすかのペースに合わせて全力疾走し、気がついたら校庭の端っこまで来ていた。

「いやぁ、痛快痛快。桂木、良くやったわ」
「……ありがとうございます」
「痛快じゃないわよッ! 先生に暴力ふるって、ただで済むと思ってるのっ!?」
 ああ、同罪だ……。私も同罪だぁ……。

「大丈夫大丈夫、その辺はなんとでもなるわよ」
「何で!?」
「なんとなく」
 恨めしい目で睨んでやったが、コイツは全然歯牙にもかけない。

「そろそろ次の授業が始まるわね。戻ろうか」
「その前に、ちょっといい?」
 わたしは手を挙げた。
「なんで、エイトさんていうんですか?」
 場違いな質問なのは百も承知だったが、訊かずにはおられなかったのだ。
 けど、笑われることなくエイトさんは答えてくれた。
「それはオレの名前だよ。辻村詠人(つじむらえいと)っていうんだ」
 エイトさんは、用意していた手帳に流麗な字で『辻村詠人』と書き付けた。
「あっ!」
 あすかが『エイト』って言っていたから、わたしはてっきり彼のことを英語の『8』だと思っていたのだ。
 なるほど、そういうことだったのか。

「ふふ……厄介だわよね、思い込みっていうのは」
 あすかが、意味深に笑う。
「…………???」
「さぁ、授業よ。桂木、放課後までには迎えに来てね」
 あすかは、桂木さんに向かって片目を閉じた。
 それは、オンナのわたしが見ても、なかなか魅力的なウインクだった。

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