第3章:この事件の犯人は−−

 教室へ向かう道すがら、わたし達は意外な人物に出会った。
「二宮先輩!」
「やあ、キミか」
 先輩は、わたしを認めて手を挙げる。
「病院に行っているものだとばかり思っていました」
「親父には、お袋が付きっ切りでついているからね。よほど心配らしくって、病室から出ようともしないんだ。だから、オレはいても仕方ないし、今日はこうやって出てきたんだよ」
 先輩の顔色は、昨日から比べると随分よくなっている。だいぶ落ち着いたのだろう。

「今回のことは、色々と大変でしたね」
「ああ。けど、大丈夫だよ。親父も山は越えたみたいだし。むしろ大変なのはこれからさ。部室は相変わらず使えない、部員もこのことが原因で逃げられそう。おまけに、鳥貝先生がさ……」
「と、鳥貝先生がどうかしたんですか?」
 つい先刻、投げ飛ばしてしまった人の名前が突然出て、わたしは動揺を隠すのがやっとだった。
「他校から引抜きがあったみたいでね。今学期いっぱいで、学校を辞めることになっていたらしい。これで、また顧問の先生を見つけ直さなきゃならなくなったよ」
「引抜き……?」

「じゃあ、オレはこれでもう行くよ。授業も始まるし」
 先輩は、『じゃ!』とばかりに右手を挙げてその場を辞そうとした。
「センパイ、ちょっといい?」
 それまで黙っていたあすかが、口を開いた。
「何で、こんな土地柄の学校で山岳部なんて始める気になったの?」
 その問いに先輩は少しはにかんで、
「親父の影響さ」
 と、答えた。
「親父も昔、登山家だったんだ」

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 親子の関係とは、往々にして危ういものだ。それが同姓ともなると、さらにややこしい。
 父親と息子。
 母親と娘。
 この二つの関係は、常に微妙なバランスで保たれていて、一歩どちらかに荷重がかかるとアッという間もなく崩れてしまう。

 娘であるわたしが、同じオンナである母上の服装や化粧や所作にいちいちチェックを入れてしまうのも、親子であると同時に一人のオンナとして相手を見てしまうからだろう。
 父子、そして母子とは、もっとも身近にいる同姓のライバルなのかもしれない。
 だからこそ尊敬もできるし、時には嫉妬や憎悪の目で見ることもある。

 午後の授業中、わたしはそんな取りとめもないことを考えていた。
(先輩は、校長先生……お父さんの背中を追って、山岳部を作りたがったんだ)
 わたしは窓の外を眺める。そこには、どこまでも続く青い空があるだけで、山々の連なりなどどこにも見当たらない。
(でも、そのお父さんは息子の願いを聞き入れなかった。本当なら嬉しいはずなのに……。なぜなんだろう? 本当に、エイトさんが言ったような道楽に興じてほしくないってことが理由なんだろうか?)

 心の中がもやもやとしたまま、授業の内容はさっぱり頭に入らなかった。

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 いつも通りの授業が、いつもと変わらぬ時間に終わり、いつものようにわたしは教室を出た。
 玄関で靴を履き替えると、なんとなくホッとしてしまう。

 事件については、混乱を招くということから一般の生徒たちにはほとんど説明がされていない。
 わたしと二宮先輩も先生から緘口令がしかれていて、興味深々で訊いてくる他の子たちにも曖昧な返事をするしかなく、慣れ親しんだ教室にいても居心地の悪さを感じてしまうのだ。

 先生たちも事件のことをあまり公にしたくないようで、校外への情報は極端に制限されているらしい。
 おそらく、警察と病院関係にしか詳しいことは知らされていないだろう。新聞にも今回の事件は何一つとして載っていない。

 わたしは、秋空に向かってタメ息を一つついた。
 校長先生があんなことになった時から、わたしの心はどこか晴れなかった。この秋晴れの空さえも、嫌味のように感じてしまう。
 わたしは、見るもの感じるもの全てに暗い影を感じ取るようになってしまったらしい。
 ただ一点を除いて。

「サーナエ!」
 能天気な声が響いて、わたしは後ろから抱きつかれた。
「なぁーに、一人で帰ろうとしてんのよ。あたしに声くらいかけてもいいじゃない」
 振り返らなくても誰だかはわかる。わたしの知り合いでこんなことをするのは一人だけだ。
 わたしはそいつの名前を呼んだ。
「あすか!」
「あによ?」
「ベタベタしないでよ。みっともない」
「いーじゃない、別に。オンナ同士なんだしさ」

 彼女は余計にぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
 同世代にしては発育のいい双丘の感触が背中に伝わり……って、いや、それより……っ。
「く、苦しい……あすか、苦しい!」
「あっ、ごっめーん。つい、力入れすぎたわ」
 あすかはすぐに力を緩めて謝ってくれるが、その口元は薄く笑みを浮かべている。
 わざとだ。絶対わざとやってる……。

「サナエは、部活とかやってないの?」
「まぁね。あんまり運動とか得意じゃないし。家が厳しくて門限とかもあるから」
「ふーん、それでアコガレの二宮センパイのお誘いも断ってるわけか」
「な……、なんで知ってるのッ!?」
 あすかは、ニヤリと笑う。

「エ、エイトさんが調べたのね……」
「文化祭の行事で知り合って以来、山岳部にマネージャーとして勧誘されてるんでしょ? 脈ありと考えて、こっちから落としに行けばいいのに」
「先輩にしてみれば部員の頭数が欲しいだけだもの。そんなこと出来やしないわよ」
「部員の頭数ねぇ……」
 あすかは、やれやれとばかりに肩をすくめる。

「それよりさ、アレ。気にならない?」
 と、彼女は山岳部の部室がある方へ顎をしゃくった。
 見ると、初老の男性がなにやら佇んでいる。
 グレーの作業ツナギを着ているところを見ると、どこかの業者だろうか。

 あすかは、臆面もなくその人に歩み寄った。
「こんにちは。山岳部関係の人?」
「……ん?」
 少し強面のその人は、あすかを値踏みするように眺めていたが、すぐに相好を崩した。
「儂は、この部室を造った建設会社の者だよ」
 手馴れた手つきで、四角い紙片が渡された。名刺だ。そこには、会社の名前に続いて彼の肩書きが記されていた。

「代表取締役社長 香川健二(かがわけんじ)……?」
「ああ、この学校の校長をしとる二宮晴彦とは、学生時代からの友人でな。造ったばかりの部室で事故に遭ったっていうから、見に来たんだよ」
「ふーん。じゃ、校長センセのことは詳しいんだ」
 あすかがぞんざいな態度で言う。
「もちろんさ。儂と晴彦は、同じ大学で登山部に入っててな、お互い学業そっちのけで山に興じたものだ。将来はそれで飯を食うつもりでな」
 当時を回想しているのだろう、香川さんは遠い目をして語る。

「でも、今じゃ二人とも教師と建設業者ね」
「夢なんてそうそう叶うもんじゃないってことかね。在学中、晴彦は雪山で生死をさまようような大怪我をして、それ以来、山を登れなくなってしまったんだ。そして、そのまま退部。儂も後を追うようにやめてしまったよ」
 そうか。それで、校長先生は二宮先輩が山岳部を設立するのを反対していたのか。
 息子にまで、自分と同じような危険に遭って欲しくなかったから。

「やれやれ、思わぬところで昔話をしてしまったな。儂はこれで帰ることにするよ。本当は、坊主にも挨拶しておきたかったんだが」
 坊主とは、二宮先輩のことだろう。なんだか、そういう表現をされると可笑しい。
「一つ訊きたいんだけど。校長センセは事件のあった朝、こんなとこで何をやっていたのかしら?」
「さぁな……。儂は、ここが出来たあと、鍵を中に置いたまま帰っちまったんでね」
 振り返ることもなく、香川さんは校庭をよぎって行ってしまった。

 入れ違いに、
「あすか、迎えに来たぞ」
 と、声が聞こえた。エイトさんだ。
「ご苦労、エイト」
「ご苦労ついでに、ひとつ変わったことがわかったぞ。事件当日、校長のズボンのポケットに、鍵だけじゃなくこんなものが入っていたそうだ」
 エイトさんは、手のひらを広げてわたし達の前へ差し出した。
「……これ、ネジですか?」
「そう。もちろんこれは実物じゃないが、こんなカンジのものがポケットの中に何本も入っていたそうだ」
 普通のネジとはちょっと違う。ずいぶん長くて頑丈そうだ。あんまり見かけないものだなぁ。
「校長先生、ネジ・マニアだったのかしら?」
 言ってから、間抜けなことを口走ってしまったと後悔した。
 けど、恐れていたあすかからのツッコミはない。
「あたし達もこれで帰りましょ。ここにいても、もう収穫はねーわよ」
「ああん。待ってよ、あすか」
 言うが早いか、あすかはもう歩き出している。
 わたしとエイトさんは、慌てて彼女の後を追って行った。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 家に帰ると、わたしは着替えるのも面倒で、そのままベッドに突っ伏してしまった。
 お昼からずっと、わたしは心の中に何かが引っかかっているような異物感を感じていた。
 その何かを必死になって思い出そうとしているのだが、あとちょっとというところになって別の思考が邪魔してしまい、思い出せない。
 わたしは苛々して、愛用の抱き枕にぽかぽかと八つ当たりをした。

「ああ、もう! 暑くなってきちゃったじゃないっ」
 天気が良かったせいで、部屋の空気が熱気を帯びている。
 クーラーをつけるのも気がひけるので、窓を開けようと手を伸ばした。
「う……、固い」
 建て付けが悪くなってしまって、なかなか開かないのだ。渾身の力を込めて引っ張るとようやく開いてくれる。
 秋の心地いい風が、わたしの頬を撫でて部屋を満たしてくれた。

『……厄介だわよね、思い込みっていうのは』

「…………?」
 突然、あすかの言葉が脳裏をよぎった。
(思い込み……?)
 なんだろう。わたしは……この事件で何か重大な勘違いをしてはいないだろうか?
 風が髪を弄ぶのも気に留めず、わたしは必死に考えた。
「…………………………あっ!!」
 そ、そうだっ! わかった!!
 あの部屋は……あの部室は……っ! 最初から最後まで、密室なんかじゃなかったんだ!

 そう。この方法なら、やれる。
 けれど、そのトリックが成立するということは、わたしにも悲しい現実が突き刺さることになる。
 でも、黙っていてはいけない。
 なぜなら……、
「なぜなら、この事件の犯人は−−」

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