想い出を胸に

 窓の外には……月が冴え冴えと輝き…………その柔らかな月の雫が、この部屋を青白く浮かび上がらせている……。
 静かな…………夜だ……。
 まるで、夜の青い闇に音が吸収されてしまったかのような静寂なる夜……。
 私は、たった独り……部屋の中で……その静寂を楽しんでいた。

 明日は……私がこの世に産み落とされた日……。私の誕生日だ。
 そう、あとほんの数十分。午前0時を過ぎれば……また私の誕生日が巡って来る。

 私は……薄く微笑んだ。

 きっと、この静寂なる夜が明け……太陽が空に口づけをするころ、兄くんは私のところへ真っ先に駆けて来てくれるだろう。
 両手に……プレゼントを抱えて。
『千影ちゃん、ハッピー・バースデー』
 そんな、言葉をかけてくれるんだね……。
 私が……その言葉をどんなに喜ぶか知っているから……。

 私は、ふと思い立ち……クローゼットに歩み寄ると…………奥に仕舞いこまれた一つの髪飾りを……取り出した。
 ウサギのぬいぐるみが付いた……可愛い髪飾り…………。
 覚えているかな…………兄くん。もう何年も前の誕生日のことだ……。きっと覚えていないだろう。
 私が……初めてこの髪飾りをつけて…………誕生日をお祝いに来てくれた兄くんの前に立った日。

 あの日、兄くんは微笑みながら…………私に『可愛いよ』って言ってくれた……。
 私は、兄くんに褒められたのが嬉しくて……それ以来この髪飾りは私お気に入りになったんだ。
 我ながら、単純……だね。
 私は……兄くんに褒められたくて……その一心で……いつでもどんな時でもこの髪飾りを付けて兄くんの前に立ったんだ……。
 兄くんは……そんな私の気持ちなんて気づきもしなかったろうけど……。

 私が悲しい時……、心が深い闇に囚われそうな時……そんな時はいつでも、私の気持ちに気づいてくれるのに…………私が兄くんを想っている気持ちにだけはいつまでも気づいてくれないんだからね……。

 けれど……それだけ気に入っていたこの髪飾りを……いつしか……私はつけなくなってしまった。
 いつからかはわからない。でも確かに……私はこの髪飾りを自分から遠ざけるようになったんだ…………。

 理由は……わかりすぎるほどわかっている。

 私は、大きな姿見の前に立つと……数年ぶりにその髪飾りで髪を留めた。

「ふ……」

 切ない笑みが漏れる。
 似合わない……。成長した私に、その可愛らしい髪飾りは……滑稽なほど似合わなくなっていた……。
 兄くんはもう…………こんな姿の私を見ても褒めてはくれないだろう。

 ……そう、だからやめてしまったんだ。
 髪飾りを褒めてくれた兄くんも……その髪飾りが似合う私ももうここにはいない……。
 全ては……停滞した過去の中で、永遠の沈黙を続けている。
 だから…………、

 兄くん……時の流れというのは残酷だね……。
 楽しい想い出も……その時の自分たちさえも……形として今に残せない。取り戻すことも、やり直すことも出来はしない…………。
 そのくせ、私たちは過ぎ去った時間に縛られ……悔やみ、喜び、戸惑い、嘆き……そして、依存する。
 そのことに何の意味があるのかもわからぬまま…………。

 でも、ね……。
 私は……それでいいと思うんだ……。
 振り返れるほどの過去がある人は……幸いだ。例えそれが……辛く悲しい過去でしかなかったとしても…………。
 過去は……単なる時間の流れの一点として存在するわけじゃ……ない。
 今の自分が確かにここにあるという軌跡…………それが過去なんだから。
 どんなに許せない過去だったとしても……今の自分がここにあるためには……必要なことだったんだよ。

 ねぇ……兄くん……?

 もう今となっては…………この髪飾りは私を彩ってはくれない……。
 この髪飾りをつけた私を褒めてくれた兄くんも……ここにはいない。

 けれど、それはきっと……私や兄くんにとって…………、

 私は……ウサギの髪飾りをはずした。腰まで伸びた長い髪が…………さらりと流れる。
 いつもの私が……そこにいた。
 髪飾りは似合わないかもしれない……けれど、しっかりと兄くんを迎え入れられる私が……。

 ……ふいに、静寂が支配する部屋の中で時計の音が鳴り響いた。 

 3月6日の午前0時……。
 また巡ってきたのだ…………今日という日が。
「Happy Birthday To Me……」
 ……私は小さく呟いた。
 朝になれば……いつものように兄くんが私の元にやって来ることだろう…………。
 そして……あの唇で語ってくれる。『千影ちゃん、ハッピー・バースデー』と……。
 一年に一度だけ囁いてもらえる……最も嬉しい言葉……。

 さぁ、それまでは、私も束の間の休息を…………。

 …………その時になって、私は初めて気づいた。
 0時を告げる時計の音に混じって…………別のリズムが部屋を満たしていると。

 …………トントン……、…………トントン……。

「ああ……そういうことか……」
 私は、小さく微笑んで……エントランスに歩み寄った。
 扉を開けるまでもなく……わかっている……。そこにいる人の名前も……そして……その第1声も……。

 私は、大きな両開きの扉を開けた。
 夜の冷気が……私の身体を包んで……通り抜けて行った……。


 SISTER PRINCESS SIDE STORYS
 “DON'T FORGET TO REMEMBER” : OVER


 ■コメント
 この作品を最初に書いたのは、いつだったろう……。
 確か、かれこれ3年位前、よそのサイトさんへのプレゼント用に書いたものだったと思います。

 ここに再掲載するにあたって、オリジナル作品として書き直すつもりだったのですが、作品の雰囲気が壊れてしまうので、原文をそのまま載せてみました。

 なお、タイトルはビージーズの名曲「DON'T FORGET TO REMEMBER(邦題:想い出を胸に)」からとっています。

2007.7.10


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