忘れ得ぬ君に・後編

(18時46分)
「なるほど……、それは……大変だったね」
 夕食が終わった後、僕の話を聞いた千影がそう言った。
 しかし、事は『大変だった』で済む問題じゃない。何せ、フランス行きの航空券が部屋からなくなっていたのだから!
「でも不思議ですわ。兄君さまが部屋をお出になってから、どなたも部屋には近づいていないのでしょう?」
 と、同席していた春歌が訊いた。
「うん、そうなんだ。隣の部屋には鞠絵がずっといたんだけど、誰も前を通ってないって」
「部屋の鍵は……どうしてたんだい……?」
「窓は閉めたけど、ドアはそもそも鍵がないから開きっ放しだよ」
「なるほど……衆人環視の密室ってワケか……。フフ……面白いね」
 こっちはちっとも面白くない。
「シュウジンカンシノミッシツって何ですの?」
 と、春歌。

 これには僕が答えた。
「つまり、事件の起きた部屋自体は密室じゃないんだけど、周囲の状況から密室同然だったことだよ」
「この場合……、犯人はどうやって鞠絵ちゃんの目を盗んで部屋に入り、どうやって逃げたのか……。……それがネックになっているわけだね」
「咲耶ちゃんの言うとおり、泥棒が入ってきたんでしょうか?」
「いや……それはないよ……。表には……、衛ちゃんと四葉ちゃん……それに鈴凛ちゃんがいたんだからね……。誰かが入ってくれば……すぐにわかるだろう」

 確かにそのとおりだ。
 ということは、もっとも考えたくないことだけど、家の中にいた誰か……つまり妹たちの誰かが犯人だということになる。
 しかし、ここでも問題が発生する。
 全員にアリバイがあるのだ。
 鞠絵が編み物をしていたことは、外にいた衛と鈴凛と四葉がずっと目撃している。
 同様に、花穂が花壇にいたことは可憐と白雪が見ている。
 千影と春歌は外出中で家にいなかったし、雛子と亞里亞も部屋で一緒に寝ていたのだから問題外のはずだ。 
 そして、咲耶は僕とずっと一緒にいた……。

 これじゃ不可能犯罪じゃないかっ!?
 僕は完全にパニックになった。
 そんな僕の心理を読んだのか、千影が意味深な言葉を呟いた。
「……不可能じゃ……ないさ。兄くんは……、いくつかの見落としを……しているだけだよ……」
「どういうことだい、千影?」
「まず……本当に鞠絵ちゃんは……ずっとドアの方を向いていたのかい……?」
「あっ、そうですわっ! 今のお話ですと、衛ちゃん達が水をかけてしまって……」
「そう……。その間だけ、鞠絵ちゃんは……ドアの方を見ていない。……つまり、その隙に……誰かが部屋に侵入したんだよ……」
「そうか、けど鞠絵が着替えている間に、部屋を荒らして航空券を見つけて逃げるなんて早業過ぎるぞ。どうやって犯人はその場から逃げたんだ?」
「逃げては……いないさ。犯人は……兄くんと咲耶ちゃんが部屋に入った時……まだ部屋に……いたんだ」

「ええっ!?」
 僕と春歌が同時に叫んだ。
「どうしてそんなことが……?」
「兄くんは……不思議に思わなかったかい……? なぜ、本棚の本は……下の方しか抜かれていなかったのか……」
「そりゃ、ヘンだったけど……。大して気にも留めなかったよ」
「簡単な……ことだよ。犯人は……上の方の本に手が届かなかったのさ……」
「手が……届かなかった?」
「そう。……犯人は、雛子ちゃんだよ」

 ひ、雛子が犯人……!? そんな馬鹿なっ!?
「大体、本当にそうだとして、どうやってあの場から逃げたんだ?」
「だから……逃げていないと言っているじゃないか……。雛子ちゃんは……部屋の中に隠れていたんだよ……」
「でも、部屋に隠れるスペースなんか……」
 そう言おうとして、ハッとした。
 ある……。一箇所だけ、雛子なら隠れられる場所がっ!

「机の一番下の引き出しか……」
 僕がそう言うと、千影は薄く笑った。
「……推測でしかないけれど、おそらく当たっているよ……。あそこ以外に……隠れられる場所はないしね……。一番小さい雛子ちゃんだからこそ……できたことさ」
「でも、亞里亞ちゃんが一緒にいたのでしょう? 亞里亞ちゃんがやったということも考えられるのでは?」
 と、春歌が訊いた。
「いや……暗くて狭い引き出しに隠れるのは……気の弱い亞里亞ちゃんには無理だよ……」
 そうか、確かに千影の言うとおりだ。

 順を追って説明すると、こういうことになる。
 僕と咲耶が雛子たちの部屋を出た後、眠っていなかった雛子は、僕の部屋に入った。
 この時、鞠絵が着替え中だったのはおそらく偶然だろう。
 その後、雛子はどこかにあるはずの航空券を探して、部屋を荒らしてしまった。本棚や机の引き出しの中身が、床に散らばっていたのもこれが原因だろう。
 無事に航空券を見つけたものの、運悪くそこに僕たちが帰って来てしまったのだ。
 怒られるのを恐れた雛子は、机の引き出しの中に潜り込んだ。
 そして、混乱した僕らが部屋を離れた後、自分も悠々と部屋を出て行ったのだろう。

「アンファンテリブルだな。この場合、ちょっと違うけど」
「アンファ……なんですの、それ?」
 僕の言葉に春歌が質問し、千影がそれに答えてくれた。
「『アンファンテリブル』。恐るべき子供たちの意味さ……。……ミステリー小説の形態の一種で……子供だからこそできた犯行のことを言うんだ……」
「確かに、雛子ちゃんでなければできないことでしたものね……」
「航空券が……なくなってしまえば……、兄くんはずっとここにいてくれる……。雛子ちゃんはそう思ったんだろう。実に……子供らしい考え方……だね」

 僕は、千影の言葉を聞くうちにどんどん陰鬱な気分になっていった。
 雛子がそんなことを想い、そうまでして僕といたいと考えてくれていたとは……。
 それより何より、雛子にそんな哀しい思いをさせていた自分がとてつもなく嫌だった。

「オレ、フランスに行くのをやめるよ」
 気づいたら、ポツリとそう呟いていた。
「雛子にも、みんなにも……哀しい想いや辛い想いをして欲しくないんだ。オレがここに残ることで、みんながそんな想いから解放されるのなら……」
「見くびってもらっては困るよ……、兄くん」
 静かだが、とても強い口調で千影が言った。

「……誰だって、いつかは家族と離れてゆくものなんだよ……。それを恐れていたら……人はいつまでも……成長することなんて出来は……しない」
 千影らしからぬ強い口調に、僕だけでなく春歌も気圧されていた。
「出逢いが人を変えるように……別れもまた人を変える……。兄くんが旅立つことは……雛子ちゃんにも……私たちにだって、必要なことなんだよ」
「……」
「それに……兄くんが旅立つことは……決して別離じゃない……。……巣立ち。そう、兄くんは巣立って行くんだよ……。それは何も兄くんだけじゃない。……私も……春歌ちゃんも……雛子ちゃんだって、いつかは……みんなのもとから巣立って行くんだから」
「千影……」
「……けど、どんなに離れていたって……家族は、家族だよ。私たちには、別離なんて言葉は……関係ないんだ」
「そうだね……、そうだった」
「だから……行くべきだよ、兄くん……。愛する人と離れることが……どんなに哀しくとも、それが必要な時は……」
「ああ、ありがとう千影」

「それと……これは餞別だ」
 千影はそう言うと、どこから出したのか大きな包みを差し出した。
「これは?」
「私と……春歌ちゃんからの……贈り物さ」
「コートですわ。ヨーロッパの冬は寒いですし」
「ありがとう千影、春歌も」
「フフ……、せっかく向こうへ行ったのに、風邪で出戻りでは……格好がつかないからね……」
 そう言うと、千影は席を立った。
 つられるように、僕と春歌も一緒に部屋を出た。


(19時6分)
 部屋を出かけた時、可憐と白雪に声をかけられた。
「にいさま、今日のお食事、どうでした?」
「ああ、美味しかったよ。白雪の料理はいつも完璧さ」
「お兄ちゃん、可憐も手伝ったんですよ」
「ああ、そうだったね、ゴメンゴメン。二人の料理はいつも完璧だよ」
 僕がそう言うと、二人の妹はこれ以上ないってくらい素敵な笑顔を浮かべてくれた。


(19時9分)
 自室へ戻る前、衛の部屋の前を通ると、四葉と鈴凛も部屋に集まっていた。
 女が3人寄るとかしましいと言うが、この3人を見る限り全くもって言い得て妙だ。
 そして、僕は心の中で感謝した。
 僕がいない間、バイクを整備してくれようとしたこと。そして何より、彼女たちの存在に。


(19時11分)
「お兄様」
 僕が雛子たちの部屋に行こうとする前に、咲耶に連れられた雛子と廊下で顔を合わせた。
「雛子ちゃんが、お兄様に話したいことがあるんですって。ね、雛子ちゃん」
 咲耶がそう言うと、俯いていた雛子が首を縦に振った。
「おにいたま、これ……」
 雛子が差し出したのは、僕の部屋からなくなった航空券だった。
「ヒナね、これがなくなったら、おにいたまがずっとヒナのところにいてくれるって思ったの……。だから、だから……ヒナね……」
 その後はもう、言葉になっていなかった。
 滂沱と流れる涙で、雛子の頬には行く筋もの川ができた。
「いいんだよ、雛子。怒ってなんかいないから……それどころか……」
 それどころか、そんなにまで想ってくれたことを僕は誇りにすら思う。
「お兄様、後は任せて。明日の準備で忙しいんでしょう」
「ゴメン、咲耶。いつも雛子たちの世話を頼んじゃって」
「いいのよ、好きでやっているんだから。ホラ、早く行って」
「ありがとう、咲耶」
 他の妹たちに手を焼いた時も、いつだって彼女は助けてくれた。
 咲耶がいなかったら、この家族はきっとここまでまとまらなかったに違いない。
 本当にありがとう。


(19時42分)
「兄や、ぼんそわ〜るなの〜」
「ああ、Bonsoir……亞里亞」
 僕は苦笑を禁じえなかった。
 亞里亞が突然フランス語を教えてくれると言い出したのだが、これが全然フランス語になっていないのだ。
 彼女はフランス生まれなのだが、よくもまぁ会話が成立していたものだと思う。
 でも、それが彼女らしくていい。
 亞里亞の無垢で純真な心は、僕が失いかけていたものだ。それをこの子は思い出させてくれた。

「ほら、亞里亞ちゃん。兄上様も明日の準備でお忙しいんですから、それくらいにしておきましょう」
 鞠絵が会話に交ざってきた。
 正直言ってちょっと助かった。
 このまま亞里亞のフランス語講座が続いたらどうしようと思っていたところだったのだ。
「兄上様、これをお持ちになってください」
 と、鞠絵が僕に包みを渡してくれた。
「これは?」
「マフラーです。今日までに出来なかったらどうしようと思っていたんですけど、何とか間に合いましたね」
「ああ……そうか、これは……」
 今日も部屋でやっていた編みもの……。
 それがこれだったのか。
「鞠絵、ありがとう。大事に使うよ」
「兄や……亞里亞ね、フランスへ行ったら兄やに街を案内してあげるの」
「ああ、亞里亞もありがとう」
 僕は二人に微笑みかけると、部屋を辞した。


(19時45分)
 部屋の前まで来ると先客がいた。花穂だ。
 彼女は、僕の顔を見ると少しだけ不安そうな表情になった。昼間も見せた、あの顔だ。
「お兄ちゃま、もう行っちゃうんだよね」
「ああ、ゴメンね。花穂たちには迷惑かけるけど……」
「ううん、それはいいの。それがお兄ちゃまの為だもの。……ただ、お兄ちゃま」
「なに?」
「忘れな草の花言葉って知ってる?」
 忘れな草……? 昼間、花穂がくれたあの花だ。
「ゴメン、花穂。オレ、そういうのよく知らないんだ」
 素直にそう言うと、花穂は、
「それならいいの。お兄ちゃま、おやすみなさい」
 そう微笑んで、廊下を駆けて行った。

 ……忘れな草の花言葉?
 僕は少し気になって、本棚から植物図鑑を取り出して調べてみた。
 件の花はすぐに見つかった。
 そうか、花穂はこのことが言いたくて、あの花をずっと大事に育ててくれたんだ……。
 忘れな草の花言葉、それは……、

「私を……忘れないで……」


(22時00分)
 僕は部屋の灯りを消して、ベッドに横たわった。
 明日の朝は早い。早めに寝るように心がけないと、飛行機での長旅はきついだろう。
 僕は、暗い部屋の片隅で様々なことを想った。
 これまでの生活、これからの生活。辛かったこと、嬉しかったこと、哀しかったこと、楽しかったこと。
 そして何より、こんな僕のことを慕ってくれた12人の妹たちのことを。
 みんなみんな、僕には最高の想い出だ。
 例えこの先、僕に何があってもどんな未来が訪れようとも、彼女たちと過ごした日々を忘れることは決してない。

 あと8時間もすれば、僕はもうここからいなくなる。妹たちとも会うことは出来ない。
 でも、それを哀しむ必要はない。
 彼女たちとの想い出があれば、僕らはいつでも心で繋がっていられるのだから。

 僕は暗闇の中で、そっと呟いた。
(みんな、いつまでもお元気で……。そして、ありがとう)



SISTER PRINCESS SIDE STORYS
“HARD HABIT TO BREAK”:OVER


 ■コメント
 もうかれこれ3年位前だったと思うのですが、よそのサイトさんへのプレゼント用に書いた作品が元になっています。
 私は、どうにも別れの物語が好きなようですね。(^-^;

 なお、タイトルはシカゴの名曲「HARD HABIT TO BREAK(邦題:忘れ得ぬ君に)」からとっています。
 YOUTUBEでPVが観られますので、気になった方はどうぞ。こちら。

2007.8.18


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